本の出版は地方でもできる
地域発の書籍を、兵庫から全国へ
「本の世界を身近に感じてほしい」と、出版社の少ない兵庫で一人、出版社を立ち上げた浦谷さおりさん。現在はスタッフや外部ブレーンとともに、書籍の出版や編集、デザイン制作のほか、本にまつわるイベント企画など、地元の人々と本の世界をつなげる多彩な取り組みを続けています。姫路のメインストリートが見下ろせるオフィスで、お話を伺いました。
20代から70代まで、23名が受講する絵本教室。取材当時は第1回目のカリキュラムが終了し、「思ったより本格的だった」という声もあったという
見晴らしのいいオフィスですね
ここはオフィス兼絵本教室なんです。姫路で出版社を始めてから「(本や絵本を)作ってみたいけど、何からやっていいかわからへん」と言われることが多くて、広い場所に引っ越せたので、1年間準備して絵本教室を開校しました。
確かに、どうやって本が作られるのか知らない人が多いと思います
全国の書店で販売できる『商業出版』を作ろうとしても、姫路には経験者も、絵本を描けるスキルを持つ人も少ない。それは、そもそも姫路に、そういうことをできる機会がなかったからなんです。だから、出版社として地元の人に基礎を伝えて、知識をいれてもらってから絵本を作ってもらおうと。絵本作りを学ぶなかで、絵本を買うことになるから地元の書店が潤う、当社もここで育った絵本作家さんとお仕事ができるかも……そんな循環もできたらいいなと思いました。
人文書から美術書、絵本まで、幅広いジャンルの書籍を出版。昨年刊行された『ひめじ城ナイト』は、姫路市内の小学生1251人に『もしも姫路城がおうちだったら、なにがしたい?』というアンケートをとり、その回答をもとに作った絵本
本の編集・出版の仕事は、東京で?
もともと姫路で絵画講師や雑誌のイラストレーターをしていて、その後ライターの仕事を始めてから、自分の本を出版しました。ところが、3冊出版したところで、自分の書きたいものがなくなってしまった。でも、書籍を作る作業は面白かったんです。ページやコーナーごとに担当が分かれている雑誌に比べ、書籍作りは作家と編集者、出版社の担当者、本をデザインする装丁デザイナーの少数精鋭で進めて、一冊まるごと、一言一句までチェックできる。自分のやりたいことができるのは書き手ではなく作る側だと思ったのですが、関西には教科書系の出版社が多く、一般書の出版社は少ない。そんな時、夫の転勤話がでてきたので東京に引っ越しました。
パレットVol.122で紹介した、姫路市立琴丘高等学校教員、松本真吾さんが陣頭指揮をとった『姫路市立琴丘高校のおきなわレポート130』も、金木犀舎からの出版
自分で出版社を立ち上げようと思ったのは?
東京で入社した出版社の上司から「出版社を立ち上げるので付いてきて」と誘われて、立ち上げ作業をイチから手伝いました。webサイトの制作やISBNコード(出版社ごとに付与される世界共通の番号)の取得など、立ち上げに必要な作業をしているうちに「もしかして自分でもできるんちゃうかな」という気分になっていったんです。
そこからなぜ、再び姫路に?
東京は、日常と本やTVの世界がシームレスだなと思ったんです。毎日見ているものや場所が四六時中TVや本に出てくる。うちの子が通っていた保育園の園医さんも、毎朝コメンテーターとしてTVに出演されていました。「頑張ればTVや本、映画の世界に入れる」と思える環境なんですよね。一方で、私が姫路にいた頃は、本の中の世界はすごく遠くて、自分とは別世界のことでした。つまりそれは「目の前に、想像できる完成系がなかった」ということ。微力ながらでも、私が姫路で出版社を立ち上げることで、自分が知っている街、自分の手がけた文章が全国の本屋さんに並ぶ機会ができる。そのこと自体は小さくても、その人の人生を支えるきっかけになればと思いました。「姫路で、出版社をやりたい」と言った時は全員から大反対されましたが、潰れたら潰れた時やと思って、一人で始めました。
「秋になって、キンモクセイの香りがしてくると元気になれるんです。この社名にしていれば、どんな時も頑張れるかなと思ったんですが、みなさんとてもやさしくて、辛い思い出は一つもないです」
本を流通させるって、実は出版社でも、難しいことなんですよね
本を作れば自動的に全国で販売できると思われていますが、書籍を流通させるには「取次」といわれる卸業者との契約が必要です。そこが非常にハードルの高いところで、新規参入の出版社が大手取次と契約するのは至難の業と言われています。幸い当社は2021年に大手取次と契約できましたが、立ち上げ当初は書店を回って直接契約を交わしていました。書店の方も皆「一人で、姫路で出版社立ち上げたん? アホやなぁ」「おもろいなぁ、おいたるわ」という感じで本を置いてくれて。手伝ってくれる人がたくさんいるんだと実感しました。
スタッフは現在5名。取材当時、7冊の書籍が出版を控えていた。金木犀舎では書籍制作のほか、パンフレットや企業社史などの販促物の制作も手がけている
子どもの頃と、姫路の印象は変わりましたか?
小さい頃、姫路のことはあまり好きじゃなかったんです。悪い面ばかり見ていて、とにかく街を出たかった。でも自分で、この地でなにかしようと思って帰ってみたらすっごくいい街。神戸、大阪、千葉、東京……いろんなところで暮らしましたが、姫路ほど暮らしやすいところはないです。天候もいいし、姫路城も綺麗だし、みんなやさしいし、のんびりしてるし。帰ってきてから、姫路が大好きになりました。
これからの目標は?
子どもたちに、「本の世界は、遠く離れた世界じゃない」「自分たちと本の世界は繋がっているんだ」と伝えていきたいですね。それと、おばあちゃんになるまで本を作っていきたい。もっとチカラをつけて、商業出版だけで会社が運営できるようになったら、経営は若い人に任せて、私は南の島で好きな本をつくって、うちの会社で出版する。それができたら最高です。
■ 取材を終えて
「絶対潰れる」という前評判を覆した、姫路の小さな出版社・金木犀舎。出版社「0」の状態から「1」にした浦谷さんの功績は、本を作ってみたかった人だけでなく、「地方だから」となにかを諦めていた人にも大きな光を灯したと思います。前例がなくても、自分がやりたいことを必死で貫いた勇気と姿勢を面白がりつつ、支えてきたのは、浦谷さんが「アウェーかもしれない」と思っていた地域の人々。誰かの本気に、笑いながらも応えてくれる、そんなコミュニティーがあなたのそばにも広がっています。
■ プロフィール
兵庫県姫路市生まれ。神戸大学教育学部中退。フリーのイラストレーター兼ライターとして関西で活動後、東京に拠点を移し、哲学・仏教系の出版社で月刊誌の副編集長を務めながら書籍制作を続ける。知人の出版社創業をサポートした後、兵庫に拠点を戻し、2016年、出版社のなかった姫路市で『株式会社金木犀舎』設立。
■ 連絡先
株式会社 金木犀舎
https://kinmokuseibooks.com