「メビウス」は国境を超えて
100年後も残る
石のエターナルアート
明石海峡大橋の袂に立つモニュメントをはじめ、『メビウスの輪』(帯状の長方形をひねって端と端を貼り合わせたことで生じる環)をモチーフにした抽象彫刻で知られる彫刻家、牛尾啓三さん。海外の芸術家や美術ファン、企業オーナーからリスペクトを受けながら、ふるさと「姫路」を拠点に発信し続けています。
街のあちこちで作品を見かけますね
兵庫県を中心に国内でおよそ100点、欧米やオセアニアなど海外でも100点ほど設置されています。お地蔵さんや仏像など古くから彫刻が身近にある日本では、難しい仏教のことがわからなくても、お地蔵さんに手をあわせる風習が残っているように、自分の作品も、街中の身近なところにあることに同じような価値があると思い、日本でも海外でも野外に展示して、一般の人や子どもたちにさわってもらうために作っている感じです。
どうやって作っているんですか?
大きな石の塊から掘り出すのですが、取り掛かる前に、個性のある原石それぞれとどんなメビウスができるか対話します。私以前に多くの彫刻家がメビウスの輪を彫刻していましたが、私は誰もやっていないメビウスの輪の2等分を試み、格闘しました。その結果、石を割らないように何百本のドリル穴を開けて繋げ、大きな石の帯を等分に切り離すことに成功し、それから37年間、同じテーマが続いています。後に数学者から、このドリル穴の空間もメビウスの輪になっているという指摘があったのは大発見でした。
海外の企業経営者にもファンが多いとか
経営者は、一つ選択を間違うと何万人もの雇用を失う責任を背負いながら、常にジャッジし続けなければならない孤独な存在。そういう人たちが僕の作品を見て「ひらめきを誘発する」というんです。彼らは企業を通して、社会をどう豊かにしていくかを考えていますから、そういうものの足しになればと思っています。毎日見ていても何も感じないけど、心的に違う時にハッと振り返る、そういう存在でいいんじゃないかな。
石の彫刻家 牛尾さんの原点は?
僕の実家は、自動車や農機具の部品を作る鉄工所でした。1970年代当時のクルマや農機具は5年後、10年後にはスクラップにされるのが当たり前。家業を継ごうか、夜も眠れないほど悩みましたが、自己のつくった証がなくなることは美術を勉強した人間としては耐えられず、自分のスタイルで生きていくことにしました。僕が育った地域には昔、石粉の製造工場が多く、メビウスの輪をモチーフにした作品も廃棄するだけになった円形の大きな臼石を利用したのがきっかけです。また最近気づいたのですが、僕の美意識の原点は、子どもの頃に見ていた播州秋祭りの布団屋台。反り返った屋根の美しさが私の造形の規範になっていると思います。
現在も姫路市在住 海外移住は考えなかった?
日本では海外を拠点にして活躍した人が評価されがちですが、日本にいながら、姫路にいながら、世界に作品を広げることの方が価値あることだと思っています。
石の魅力は?
僕の場合、四角い石を削っていって最終的には3割の重量しか作品になりません。運搬する時も大層な材料です。だけど僕の作品を観てくれる人は地球の裏側にもいるし、50年先にも100年先にもいます。あるアメリカの数学者が出した論文によると、10万年後には20世紀のメディアやデジタル作品は残らないというんです。時代的背景の説明が必要な芸術は残らないが、石素材と数学的テーマは残ると。確かに世界文化遺産の多くも石が素材ですが、その数学者が予想した残る作品の一つとして、僕の作品を挙げています。これから時代がどんどん変化しても、造形と感性はなくならないと思います。
ずっと先の子孫も同じ作品を見るかも
50年後、100年後の評価は確かめられないけれど、言語や習慣が違う場所でどんな評価を受けるか確かめるために、積極的に海外に行きました。行ってみるとドイツの田舎町のおばあちゃんが抽象彫刻の本を持ってきてくれたり、イスラエルではさまざまな人が自分のフィーリングで評価してくれた。「あ、僕の作品は言葉で説明する必要はないんだ、万人の共通語なんだ」と自信がつきましたね。だから今もどんどん作り続けています。僕が失せても、僕の作品は失せないですから。
■ 取材を終えて
牛尾さんの彫刻は、遠くから観た時と近くで観た時の印象が変わります。滑らかな曲線に心地よさを感じる一方で、観れば観るほど引き込まれるようです。モチーフは同じでも、一つとして同じ作品はありませんが、世界のどこかで、時を超えて、牛尾さんの作品を観た人が、さまざまな刺激を受けるであろう素敵な作品群でした。これからも街のどこかで、牛尾さんの作品に出会えることを楽しみにしています。
■ プロフィール
1951年兵庫県神崎町生まれ、姫路市在住。
国際公募展第1回ヘンリー・ムーア大賞展佳作賞受賞し、彫刻家としてデビュー。以後世界15か国30都市地域で展示、設置。とりわけ豪州のアートイベント『スカルプチャー・バイ・ザ・シー』では、日本学芸アドバイザーを依嘱され、シドニーとパース両展覧会に20回以上参加、ダブルディケードクラブ(名誉アーティストの殿堂)入りを果たした。国際数学者会議(ICM)招待芸術家
■ 連絡先
Keizo House ※不定期で公開
兵庫県加古川市東神吉町天下原309
https://www2.memenet.or.jp/~keizo/